2007年8月16日
ボウリングがスポーツだということを理解していないヤツが多すぎる!
以前から書きたかったことだ。ちゃんと書こうとしてなかなか書き出せてなかったので、例によっていつものように書きなぐることにする。こんなタイトルだが、これはスポーツボウリングをやらない一般人についての話ではない。マイボールを持ち、スポーツとしてボウリングをやっている方々の話だ。
ハウスボーラーは仕方が無い。あれは確かにスポーツじゃない。バッティングセンターと同じで遊びだ。彼らがボウリングがスポーツじゃないと言いたくなる気持ちも分かる。彼らはただハウスボールとマイボールが、バッティングセンターと野球程に違うことを知らないだけなのだ。
本題に戻るが、私がおかしいと思うのは、ボウラーの間でスコアは二の次で「強烈な球を投げるのが正義」みたいな風潮があることである。ボウリングはスコアを競うスポーツであるはずなのに。
さて、上に書いたことは、年配のボーラーなんかがよく言うことで、同じような論調は耳にタコな方が殆どでしょう。ただ、どうも理解しきれていない人が多いようなので、例えを挙げながら書き綴ってみることにする。
まあ、若いうちは派手なものに心惹かれるのは仕方が無いといえば仕方がない。それは、言ってしまえばキャンディーの甘さが幼児を魅了するのと同じことである。大人になるにつれて、料理が砂糖を入れれば入れるだけ美味しくなるわけではないことが分かってくる。
強烈な球に憧れるのはまだ良しとしよう。確かに、強い球はポケットを突けばストライクの確率が高いことは確かだ。目指すべきではある。それでも、強い球はあくまでスコアを打つための手段でしかなく目的ではないのだ。
そんなに曲がらないボウリングをしている人たちに対して、「そんなボウリングのどこが面白いのか」とか「あんなのたいしたことない」などという陰口は良く聞かれる。とある回転だけが自慢のプロが「矢島プロはたいしたことがない」とか言っているのを聞いて心底呆れたことがある。少なくともその人は考えを改めない限り、プロとして未来は無いな、と思った。
これは他の競技ではありえない話である。ドラコンやスピードガン競争、ホームラン競争の結果をその競技自体の実力そのものだと勘違いするなんて考えられないでしょう。
また、例えば、日本の野球選手で、トップアマチュアもしくはプロ野球2軍止まりの選手であっても、140km/h以上投げる投手は何百人といる。そして、そういった選手たちが、山本昌広、星野伸之、グレッグ=マダックスを尊敬することはあれ、馬鹿にすることは断じてありえない。
野球の話を書いたついでに書くが、野球にはナックルボールってのがあるな。これはボウリングで言うとあれですよ、UFOボール。両方とも特殊な投球方法だが、ナックルボールは精精「邪道」くらいのあつかいで済むかもしれないが、UFOボールは「ボウリングじゃない」くらいのあつかいが当然のごとくされている。
つまりね、日本のスポーツボウリングは文化として未成熟なんだよ。だから幼稚なボウラーの跳梁を許しているし、多くのボウラーはアスリートとしての意識が足りない。ボウリングの本質はスコアを競うスポーツであるということ、そのためには何が必要であるかを考えること、それを肝に銘じながら自分はスポーツをやっているんだと言う意識を持つことが大事だと思いますけどね。
日本で競技ボウリングがマイナーなままである原因に、こういった文化としての未成熟さ、ボウラー達自身の意識レベルの低さも関係しているのではないでしょうか。
PBAのトッププロだって、強烈な球を投げるから成績を残しているわけではないのです。
もちろん私は、強烈な球を投げられなくてもボウリングで結果を残すことが出来る、だなんて甘っちょろいことを言いたいのではありません。ただ、スポーツで結果を残すことは、強烈な球を投げることなんかよりよっぽど難しいし価値があるということです。