« 会話文の正しいHTMLマークアップ | メイン | 自転車を運転して免許更新 »

2007年5月23日

居場所とコミュニケーションと携帯と

昔、みんながいたところ。

これを読んだとき、心を揺さぶられ、いたたまれない気持ちになった。正直かなり自分にシンクロする部分があって、自分にとって中高時代のチェス部や、たまりばがそういった存在だった。

しかし、恋人に読ませたのだが、彼女はそれほど何も感じないとのことだった。私の恋人は、私より6歳下の20歳だが、珍しくジェネレーションギャップを感じた。彼女が携帯世代なら私はポケベル世代だ。ポケベル持ってなかったけどね。勿論それは、彼女が携帯世代だからというだけではなく、そういう場所があったか無かったかの問題でもあるだろう。

結局私は感傷的になっているだけなのかもしれない。具体的な場所を介してなんとなく人間関係が広がっていく。自分が経験してきたそういうコミュニケーションが失われようとしていることに対して、寂寥を抱き、勝手に危機感まで抱いているだけなのかも知れない。単に新たなコミュニケーションに置き換わっていくだけのことなのかも知れない。

今後、携帯電話を介したコミュニケーションがどんどん発達していくのでしょう。確かに携帯電話は便利だが、その便利さゆえに、人を簡単に束縛する道具にもなる。頻繁にメールや電話をやりとりする人たちの中に、コミュニケーションと言うより、お互いを束縛しあっているだけじゃないのか、と言うような関係性が散見されるのは気のせいではない。

もちろん、道具は使いようです。便利な道具は適切に使えば非常に便利なことは間違いありません。そして便利になったからといって、その便利さに溺れてはいけないのです。いくらデジタルカメラがフィルムを交換しないで何百枚と写真が撮れるように便利になったといっても、実際何百枚も撮ってしまうと写真の整理に収拾がつかなくなってしまいます。必要な枚数だけ撮れば良いのです。それと同じです。

さっき恋人を「携帯世代」と評したが、彼女が携帯を持ったのは高校1年の時で、今の感覚からすると決して早くはない。私は大学1年のときだった。おそらく、私の子どもとかには、もっともっと早い時期から携帯電話を持たせることになると思うが、いくら心配だからって、頻繁に子どもにメールを送りつけるようにはなりたくないと思う。

投稿者 Songmu : 2007年5月23日 23:18