2007年8月22日
今度は一部の東大生を問題視してみる
前のエントリーでは東大生をマンセーしてみたが、勉強以外のことをしぶしぶ犠牲にして、東大受かってしまったようなヤツは、妙な自負と融通の利かなさとバランスの悪さがあるのは良くないかな。タチが悪いのになるとコンプレックスと裏返しのプライドを前面に剥き出しにしてくる。
山田詠美の「ぼくは勉強ができない」よろしく「だって君女の子にもてないじゃん」とか言ったら、すぐ返り討ちにできそうな感じ。そういうヤツが本当にいるから困る。
どうも「これだけいろいろなものを犠牲にしてがんばったんだから、報われるべきだ」とか思っているんだよね。これがタチが悪い。そういう人に限って、幸福感を感じられてないんだよ。他人の評価を求めちゃってるからね。将来的に「これくらいはやってもよいはずだ」って汚職や悪事に走ってしまう人もこういう人が多いのではないかね。
たしかに、他人(親)の評価を求めて必死に勉強したはずなのに、実際はモテたりカッコよかったりするほうが周りの人間(クラスメートとかね)に評価されてしまうんだから悲しいといえば悲しいけど。周りの評価にことさら敏感なんだろうし。
努力なんて自分が好きでするもので、「これだけ努力してるのに何で報われないんだろう」なんて考えるやつはどうしようもない。努力したら報われるべきだなんて考えも同様に危険で愚か。
そもそも、他人に差をつけるとか、他人を思い通りに出来るのが偉いと言うのが勘違い。
東大って、一部の才能ある人だけが入れると思いきや、普通の人でもがんばれば入れないこともないレベルだ。そりゃそうだ、そこまでずば抜けて才能のある人が毎年何千人もいては困る。殆どはどんぐりの背比べ。多くの人はどんぐりにもなろうとしていないだけ。その辺の匙加減が絶妙ともいえるのだが、普通の人がそれで舞い上がっちゃって特別意識を持っちゃうとうっとうしいかな。
ま、がんばって東大入った人は偉いと思うけど、本当に頭が良いと思えるようなヤツは一握りだよね。東大落ちたやつが何言ってんだって話ですが。
でも結局ある人が頭が良いかどうかって頭が良い人にしかわからないんですよ。と挑発的なことを書いて終わる。