2008年5月14日
Blog界隈(主にHatena周辺)が天才の話で盛り上がってますね。
ウチの父方は「小さい頃は神童で大人になったらただの人」という家系で、親父からおじさんまでみんなそうなのです。勿論、大人になってからもそれなりの結果を出しているのですが、それでも子供の頃の圧倒的な神童ぶりとは大きなギャップがあるのです。
私もその血を色濃く引き継いでいます。
幼稚園の頃に知能指数を測ったらバカみたいに高かった。測定結果の棒グラフが用紙の枠からはみ出し、波線2本で途切れていて、そのあとに棒グラフが付け足されている。その上に200に少し届かないくらいの数字が書いてあった。
「ああ、極端に大きな数字って棒グラフでこうやって表現するんだ」
と妙なところに関心したのを憶えています。
小学校低学年の頃は世の中の全てを知る事が人生の目的だと本気で信じていて、小学校入学のときに親父の会社から貰った学習事典を熟読していた。金をも溶かす王水の話とかをワクワクしながら読んだ。
その本の中に、21世紀の世界という題で、スペースコロニーやら海上都市と共に架空の年表があった。2050年スペースコロニー打ち上げとかあるわけですよ。
それを見たとたん絶望してしまって、2150年ネコ型ロボット誕生とかに立ち会えない自分に気づいたわけです。
ちょうどその頃、宇宙が光の速さで広がっている(らしい)事も知った時期で、絶望のダブルパンチです。
なにせ、「この世の全てを知る事が出来ない」ことが分かってしまったわけですから。寿命が有限である事を呪いました。
自分の生きる意味を早くも見失ってしまった私は、小学校の頃は「人の生きる意味とは何か?」を考え続けていました。小学校の先生に日記で質問したのですが、自分の絶望を感じ取ってくれず(当たり前だ)、当たり障りの無い答えが返ってきて失望した事を憶えています。
だから、不完全性定理を知ったときは妙に安心しました。永遠の命を持っていたって、どうせ世界の全ては分からない。
そんな感じで、哲学的な自問自答の世界に進んでしまったので、以降そんな大した武勇伝もありません。
- 小学校3年生の時にふと日能研のテストを受けたら、非常に成績がよく日能研町田校の人が3人で自宅を訪ねてきて入塾を迫りに来た。そのまま日能研町田校はトップで卒業した
- 「あの家はテストで百点取れなかったら食事抜き」だの、「父親が休日には10時間つきっきりで勉強見てる」だの変な噂を流されたりした
くらいでしょうか。また、今から思えば小学校3,4年の頃の担任は明らかに私を持て余していて煙たがってました。当時は空気読めてなかったので全然気づいてませんでしたが。
ただ、知能指数が高かったがゆえに大変な生い立ちを辿ってきた方々(例1・例2)、とは違って、親や周りもそんなに立ち入ってこなかったので私の生い立ちは幸せでした。それに、
- 生まれつきずば抜けた何かを持っていたとしても、それが幸せと直結しているわけじゃないし、たまたまそうなったわけだから*1他人より偉いわけでもない
- 誰だって自分のために生きているし、自分のために生きていい。むしろ自分のためにしか生きられない*2
- 他人ごときに勝ったって仕方が無い。負けても別になんとも無い。誰にとっても他人は所詮他人ごときのはずだけど…*3
って事にさっさと気が付くことができ、自己満足の世界を楽しむようになったのは大いに良かったと思います。
他人と競争する気になれず、達成感を感じない状況ってのはあったのですが、スポーツをするようになって大分変わりました。小学生の頃は運動神経が無さ過ぎて、周りと全然勝負にならなかったのですが、今ちょっと勝負になるのが楽しい。
努力せずして他人に勝ったって面白くないけど*4、努力して他人に勝つのは楽しい。そんな時は相手に対して「次は私を倒せるくらいがんばって来いよ」と思えるし、それで次回ぶちのめされたりするとそれはそれで満足だったりする。これはもう、ある一定のライン以上に努力した人しか味わえない一種のコミュニケーションなのです。プロスポーツとかはまさにそうだよね。
なんでね、「もうちょっと頭が良かったら/可愛かったら幸せなのに」とか考えちゃう人の頭の構造が信じられないし、その頭の単純さがちょっと羨ましい。
幼い頃はまだ、「小さい頃は神童で大人になったらただの人」だなんて将来絶対言わせないとか思っておりましたが、今になってみると、平凡て良いなぁとつくづく思います。結局私も我が家の血を色濃く受け継いでいて、それに非常に満足しているわけでした。
*1 蛋白質の組み合わせが良かったのでしょう。それも人間の恣意的な価値観にマッチしただけです。死んでいるより生きているほうが素晴らしいだなんてくだらない事を考えるのは人間だけです
*2 この原則がわかってないと「あれだけしてあげたのに」とか阿呆な事をほざきだす
*3 私にも尊敬している人はたくさんいますが、その人たちを「スゴイな」と評価したのはほかならぬ自分自身なのです
*4 蟻を踏み潰したって、勝利に酔えないでしょ。勝ちに価値があると決めるのは自分なのです。