2006年7月19日
インターネットはからっぽの洞窟
この本は、全然お勧めじゃないです。先日、ビーイング・デジタルの書評を書いたときに、「この本は驚くほど陳腐化していない」てなことを書いたが、この本は、「悲しいほど、陳腐化してしまった本」と言える。
著者の前著、「カッコウはコンピュータに卵を産む」(以下「カッコウ」)が面白かったものだから、この本も買ったのだが、悲しいかな、この本は、「カッコウ」で有名になってしまった著者がついうっかり世の中へメッセージを発信してしまった本としか言いようがない。
「カッコウ」では、彼のアナーキーさ、ニヒルさ、ユルさがよく出ていて、共感できたのだけどね。コンピュータが好きだけど、別に特別好きってわけじゃない。コンピュータに振り回されたくないけど、それでも、ハッカーの存在に気がついてしまったし、普通の人よりかはコンピュータの知識があるもんだから、少し意地を張りながらも、状況を楽しみながらハッカーを追跡する、そういう彼自身の存在がうまく描けていた。
この本は、そんな風にコンピュータ関係では一般人にとって、ちょっとした名前になった著者が書いたエッセイで、コンピュータが広まっていく社会に対しての警鐘を鳴らしているのだが、今となってはどれも月並みなものでしかないし、当時としてもどうなのだろうか。
月並みでも正しいのならまだ許せるのだが、今となっては的外れなものが殆どなのが悲しい。「そんなこと実現しっこない」という表現が盛んに出てくるが、残念ながら、今や実現してしまっているものがほとんどだ。彼がネックにしたがっていたデータ転送速度の話なんかは、それこそ、これより前に出版されたビーイング・デジタルですでに触れられているDSL技術によってほぼ解消可能なのである。今や光ファイバーだしね。
結局、筆者が警鐘を鳴らすべきだったのは、「すべてを情報化するなんて実現するわけないからそんなことやっても無駄だ」ということではなく「性質の悪いことに、それが実現してしまったらどうするか」ということであったと思う。筆者風に言うならば、更に情報が溢れかえってしまって、より手に負えなくなってしまった社会。筆者がそういった社会が想像でき、そういった社会の中での心構えみたいなものが書ければ、この本はもう少しましな本になったと思う。