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2006年9月 2日

身長と言う才能

バレーボールワールドGP中なので、新宿駅構内に女子バレーのポスターが貼ってある。高さが2mくらいあるでかいやつで、「日本の女は手ごわいぞ」というキャッチとともに、選手の姿が映っている。腰より上くらいのショットになっているのだが、どうせなら足元から撮った実物大くらいの大きさにしてくれた方が迫力があって良かったと思う。

バレーボールは、あの民放の、日本が「敵を倒す」ことに重きを置いた、頭の悪いスポーツを冒涜した応援がイヤで、2年前に積極的に見るのをやめた。今年は特に時間の会わないこともあり全く見ていない。私の好きな佐々木みきも出てないようだし。

180cm前後の女の子がごろごろしているってのはそれだけで凄いよな。身長と言うものを純粋に才能とするならば、彼女らはそれだけでも間違いなく天才の部類に入る。私の友達はおろか、単なる知り合い、果ては、一方的に知っている位の関係にまで範囲を広げても、外国人を除くと私の身の回りには180を超える女性などはいないのだ。最も高くて176cmくらい。つまり、学校のクラスで一番などと言う世界を超越している。

私の身長は168cmであり、恋人の身長は152cm(自称153cm)である。仮にこの2人から女の子が生まれたとして、それが180cmを越える女性になる可能性は限りなく0に近いのである。そんなことは誰にとっても自明であり、そもそもそんなことは期待もしないし、考えもしないのである。

さて、人によっては私の言いたいことがなんとなくわかったかもしれない。つまり、「生まれつき才能の差はあるに決まっている」と言うことだ。それと同時に「それがどうした」。

身長にだって生まれつきの差があるのだから、どんなものにでも、頭の良さにだって生まれつきの才能の差がある。そんなのは当然のことだ。それなのに、多くの人はそれがわからない。と言うか信じたがらないのか。

実際、身長と違って頭の良さは物理的には目に見えないものであり、だからこそ差が見えづらいのだろう。ただ、それが見えない時点で、目に見えないものを想像できないという思考能力の欠如、つまり頭の悪さを露呈している。

ただ、必ずしも持てるものが幸せで、持たざるものが不幸せなのかと言ったら決してそうではないのも自明である。その辺を良く考える必要があると思うんですけどね、多くの人は。

めんどくなったのでもう書くのをやめるが、例えばイチローが3割そこそこの打率でシーズンを終えたら、心の底から不本意だろうが、普通の選手が3割打ってシーズンを終わったら大満足なはずだ。つまりはそういうことだ。

投稿者 Songmu : 2006年9月 2日 02:18