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2006年9月24日

水俣展

鶴川の和光大学でやってる水俣展に行った。水俣展は日本のいろいろなところで展覧を続けており、それに長く関わっている友人がいる。

写真は生々しくて、悲惨で、一緒に行った恋人は流石に長時間は直視出来なかったようだ。

大丈夫だろうと見くびっていた廃液の垂れ流しがあそこまで徹底的に人々を痛めつけてしまったこと。その時点での他人の痛みへの想像力の欠如が更に被害を拡大してしまったこと。その大きな責任から逃れようとすること。全て、人間の弱さ、愚かさ、卑怯さを物語っている。

企業が悪い、国が悪いと行ってしまえばそれまでだが、私にはそれがどうしても他人事とは思えない。事件を起こしたのもまた人間なのだから。

こういうものを見て、自分に何が出来るのだろうと考えると、まず、自分は「自分の人生を良く生きなくてはいけないな」と余計に思う。それがまず出来ることの一つ。

そして次に知ること。無知であること、想像力が足りないことはそれ自体で罪である。それだけで人を大きく傷つける可能性を秘めているのだから。

それでももし、人を取り返しのつかないくらい傷つけてしまって、憎まれてしまったらどうするのか。そこはまだ自分の中では答えが出ていない。

この展示で一番腹が立ったのは、水俣の被害者に無関係の傍観者たちから誹謗中傷の手紙が届いたこと。こういう手紙を送ったやつは、チッソよりも国よりも、問答無用で即刻死んで良い。

最後に田口ランディの講演会とリレートークがあった。恋人はむしろそれが目当てだったのだが。そこで比較文化が専門の教員が言っていた

「自分の人生は何よりもすばらしいものであり、他人の人生も他人にとってみればそれと同じくらいすばらしいものなのである。」

という言葉は当たり前だが感銘を受けた。この精神が非常に大事。そう思えばそうそう他人を傷つけたくもなくなるはずだ。

でも、私はもうちょっと口が悪いので、最近言っているのがこの言葉。

「あんたなんかいなくても世界は何も変わらず動くけど、あなたが居なかったらあなたの人生は何にも動かない」

投稿者 Songmu : 2006年9月24日 23:14