おそらくはそれさえも平凡な日々

週末と近況と町田

最近は妻が実家に戻っていて一人暮らし状態なのでのんびりしている。土曜は妻の実家に遊びに行って妻と外でランチするなどした。

その後Hachioji.pmに参加して、終電を逃して町田までは帰って夜を明かした。

新宿方面に出ても良かったのだが、町田は、中国で暮らしていた時代を除くと、結婚して今の家の引っ越すまで小さい頃からずっと遊んでいた街なので夜を明かすには安心感が違う。深夜の町田を歩いていると、学生時代に戻ったような気分になるが実際には10数年経っているのだ。町田には、昔の恋人との思い出や、今の妻と付き合い始めて遊んだ思い出とか何もかもが詰まっていて感慨深い。

明け方、長津田までタクシーに乗ったのだが、通った道がちょうど10数年前に今の妻と付き合っていた頃、妻の実家まで自転車で通っていた見慣れた道であった。

タクシーの運転手のおばちゃんが、今の時代の職業選択の自由と、高木康政が如何に信念をもってパティシエになったかみたいな彼の経歴の話をしていたが、逆にあの頃、何の信念もやりたいこともなりたい職業も何もなかった半ニートの自分が紆余曲折の上ではあるがこうして不自由なく生きていることが不思議である。

僕の人生はここまで全般的に回り道ではあるが、結果的に良い所に収まるので、とにかく運が良い。

よくここまで来たなーとか昔を思い出しながら妙にしんみりしてしまった週末だった。そういう精神状態になりやすい理由があって、これからまもなく来るべきライフイベントに向けてそわそわしているのだろう。浮き足立っているというか、浮き浮きしているというか。

最近は家族も会社もとにかく恵まれすぎていて満ち足りているので、僕の中に少し油断があるように思う。そういう中で自分に新しい刺激がもたらされることは、大いに歓迎すべきことだろうなと思ったりもしている。そういう小難しいこと無しに、無条件で良かったと思うし、自分の決断の結果が良い方向に向いてよかったとか色々思うところがある。

昔考えていたこととか感じていたことは案外忘れる。そして自分の思想も案外変わるものだ。ということを昔を思い出しながら思ったりしたし、最近折にふれてそう思う。忘れっぽくなったのかもしれないし、覚えきれないくらい人生が長くなってきたのかもしれない。なので、自分のBlogにこういう雑文を書き留めておくことは悪くないかもしれないな、などと思い書き留めておく。

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2015-05-25T02:30:00+0900

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