プロの道具、特にインターフェースへのこだわりの話(自転車ロードレース編)
プロの中には、道具、特に自分の体が触れるインターフェース部分に神経質な程にこだわり、そして結果を出している人がいる、という話を何回かに分けて書こうと思う。一つのエントリにしようと思っていたが、脱線しまくったのでそれを残しつつ分けることにした。
ランス・アームストロング
ランス・アームストロングという伝説的な元プロ自転車ロードレーサーがいる。2000年頃、ロードレーサー乗りにとっては、圧倒的なヒーローであり、僕にとってもそうだった。
ロードレースはヨーロッパが本場ではあるが、当時はやや慣習的で閉鎖的になっているとも感じられる部分があった。そこに、ランスはアメリカから乗り込んだ。彼の所属したUSポスタルはそれまでの常識を覆すような科学的な手法やトレーニングメソッドを取り入れた。「たかが」自転車のために風洞実験まで実施した。そして、圧倒的な強さを誇った。痛快だった。
だからこそやっかまれた。ドーピングの疑惑は絶えなかった。それでも当時は証拠は出なかった。だから、単なるやっかみであり、ドーピングなどしていないと僕は思っていた。でも彼はドーピングをしていた。それこそ「科学的」に組織ぐるみで。それを知ったとき、僕はとても悲しい気持ちになった。
ランスの道具へのこだわり
前置きが長くなったが、今回したいのはその話ではない。彼のその道具へのこだわりだ。彼のサドルやペダルへのこだわりは有名だった。
ロードレーサーであれば、多かれ少なかれサドルにはこだわりがある。レースによっては半日もその上に座り続けるのだから当然だ。
ランスは、クラシックな形状のサンマルコ社のコンコール・ライトを使いつづけた。軽量化が進むロードレースの世界では重量的にはデメリットはあったものの、それでも彼はそのサドルを使い続けた。
SHIMANOにペダルを作り直させた話
もっと有名なのは彼のペダルへのこだわりだ。彼のチームは日本のSHIMANO社からパーツの供給を受けていたが、ランスは最新のペダルPD-7700を使わず、旧モデルで廃盤となったPD-7401を頑として使い続けていた。年間何万kmも走る彼らからするとペダルは消耗品である。旧モデルであるPD-7401はメーカーにも在庫がなく、チームのメカニックは世界中のサイクルショップに連絡をとって在庫を確認したという逸話もある。
その頑固な彼に対してSHIMANO社も折れる。彼一人のため基本的な構造をイチから見直し、シューズもクリート(シューズにつける金具)も含めてPD-7401をベースにペダルを新たに作り直した。ツール・ド・フランス等での彼自身による実戦テストを経て、このペダルはPD-7750(SPD-SL)として発売された。
ランスが頑として使わなかったPD-7700(SPD-R)は、SHIMANOのロードペダルとしては初めてオリジナルの機構を採用した肝煎りのモデルだった。それにはシューズのソールとペダル軸を近くできるという優位な設計コンセプトがあった。そのコンセプトをあっさり破棄して、また刷新されるのだからたまったものではない。
と、思うかも知れないが実は全然そんなことはない。なにせ、あのランス・アームストロングが使っているペダルである。ツール・ド・フランスで彼がプロトタイプを使っているときから「SHIMANOが新しいペダルを開発しているぞ!」と話題になっていたくらいサイクリストの関心は高かった。実際、発売後このペダルはよく売れた。私も買いました。
そしてロングセラーに
SPD-SLシリーズは基本設計は変えず、SHIMANOのロードペダルとして15年以上生き残り続けている。
生き残るどころか、このシリーズはSHIMANOをロードペダルの分野でも世界のトップの一角を占めさせる存在になった。当時、ロードペダル業界は、スキーのビンディングでも有名なLOOK社とTIME社が2強とも言える存在だった。ランスの愛したPD-7401も実はSHIMANOが作ったわけではなくLOOK社のOEMなのであった。SPD-SLはその2強に食い込み、今や世界的に3強とも言える存在となった。日本国内ではSPD-SLが一番人気なのではないかと思う。
SHIMANOが世界的な自転車パーツブランドになるまで
冒頭にも書いたが、自転車ロードレースはヨーロッパが本場であり、自転車メーカーやパーツメーカーも一流とされるメーカーは殆どがヨーロッパ、特にイタリアメーカーである。しかし、SHIMANOは日本メーカーでながらコンポーネントと呼ばれる駆動系パーツ群の分野でイタリアのCampagnolo(カンパニョーロ)と並び、最高峰の扱いを受けている。
昔はCampagnolo一強だった。ツール・ド・フランスに出場するようなプロチームの大半はCampagnoloのパーツを使っていた。SHIMANOは20世紀後半から根気強くそこに食い込み、2強とも言える地位を獲得した。今はSRAMも入れて3強か。
SHIMANOはプロロードレースチームに道具を供給する中で選手のフィードバックを大事にし、それを素早く取り入れた。それが選手に好評を博し、Campagnoloの牙城を崩せた理由の一つだと言われている。ランスのペダルの件はまさしくそれを象徴する話である。
ランスが勝つことでロードレースにおけるSHIMANOの存在感も増していった。それもあって、僕は熱狂してロードレースを見ていたのかも知れない。
ランス・アームストロングの自転車に用いられたSHIMANOの77/78系DURA-ACE、アメリカのTREK社の5500,5900カーボンフレーム、これらは、他のヨーロッパプロが乗るイタリア車に比べると販売価格はずっと安かった。イタリア車が120万円くらいのところを、ランスが乗っていたマシンは50万で買えた。
そういうブランド価値が付きすぎていない道具で勝つ姿にも魅力を感じていたのだと思う。ブランド的なものをいけ好かないものだと感じてしまう貧乏根性故か。そして、今の僕のロードレーサーのコンポーネントもSHIMANO DURA-ACEで揃えている。
まとめ
ということで、ランスは、サドルやペダルと言った自分のお尻や足が道具と触れる部分に非常に神経を使っていた。そんな彼を神経質だと笑うことは当然できないでしょう。
次回は競技ボウリングについて書くかも知れません。