おそらくはそれさえも平凡な日々

母校や育ててもらった場所に寄付をして未来に思いを馳せる

いかにも中年臭い話だが、最近自分の中で少し寄付ブームだという話。寄付を公言するのはかっこ悪いように昔の自分も感じていたが、結局寄付というのは世界にどうあって欲しいかという願いでもあるので、それを表明しておくのも悪くないと思った。

今年はトンガとウクライナへの寄付をしたのだが、ふと思い立ってそれに加えて以下にも寄付をしてみた。

いずれもお世話になったところで、今後も継続してほしいので寄付をした。

母校に寄付をする

母校に寄付をしようと思ったきっかけとして、毎年送られてくる活動報告の冊子に寄付金の総額が記載されており、それが「案外少ないな」と思ったというのがある。学年300人しかいないわけで、大学等と比べたら少なくなるのは仕方がないとは思ったが、それでも少しさびしい額に感じたのだ。

なので、これを読んだ同窓の人がいたら寄付を検討してくれると嬉しい。

母校は東京男子高校御三家に連ねられる超トップ校である。僕が中学受験をした頃は御三家は抜きん出ており、それに比肩できる中学は関東だと筑駒と栄光くらいしかなかった覚えがある。

しかし最近は新興勢力も頑張っており、新御三家と言われるような学校が難易度や進学実績で同ランクに連ねられたりしていると聞く。

競争があることは良いことで、勢いのある新興勢力の台頭は喜ばしいことである。しかし、古くからのトップ校としてのアドバンテージの一つにOBの力がある。それらを大人気なく活用して新興勢力の壁となることも古豪に求められている姿なのではないか。

それに純粋に母校が長く続いて欲しい。自分の小学校は無くなってしまった。そういう意味でも、歴史のある中学・高校に入ることができたのは良かったとも思っている。

子供が小学校に上がり教育について考える機会も増えた。うちの子供は小学校のうちは少なくとも公立に行ってもらうので、その間は母校に寄付をできれば良いかな、と思っている。

寄付の権力性

寄付をするときに留意していおきたいのはその権力性である。個人が寄付をする場合、その先は恣意的に選ばれることになるので、公平性の担保という点ではあまり合理的とは言えない。とはいえ、冒頭にも書いたとおり、寄付というのはその個人が世界にどのようにあって欲しいかという願いでもあるので、公平性とは実はそこまで関連しないのだとも思う。

id:anzenchan の以下のエントリが好きで、そこからの引用をもってこの文章を終わろうと思う。

そもそも、私は募金というシステムそのものに対して懐疑的なんです。気まぐれに施しをすることもできるし、取りやめることもできる。そういった決定権を握っている状態というのを権力とよぶのなら、募金もエゴイスティックな権力行使にすぎません。実際、援助を受ける側は感謝することや謙虚であることを強いられる現実もあります。私たちが安穏と暮らしている一方で、理不尽な不運や貧しさに苦しんでいる人たちがいる。このような格差を正当化する理由は全くないのだから、本来、再分配は税金を通じた強制力ある形でなされるべきではないでしょうか。ボランタリーな再分配というのは、選択肢の豊富さによって生じる権力構造の問題にメスを入れることのできない、欺瞞的なやり方ですよ……
-- https://anzenchan.hatenadiary.org/entry/20110412/1302607222

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