おそらくはそれさえも平凡な日々

再現性の無い多様なキャリアの前例があることに価値がある

大吉祥寺.pmの前夜祭「生存者バイアスナイト」で話してきた。

https://junkyard.song.mu/slides/survivor-bias-night/#0

同年代の優秀なエンジニアの方から「自分のキャリアは再現性が無いから他人の参考にならない」という話をよく聞く。果たしてそうだろうか。私はそういう人たちにもっと自分の経験の話をしてもらいたいと常々思っていた。

彼らは「思い込みの結果として上手く行った」「単に運が良かった」「だから普遍的なノウハウにならない」そんなふうに自覚している。だから、そんな普遍的ではないノウハウを偉そうに声高に話したがらないし、ましてや、それを押し付けるような老害的振る舞いになることを恐れているようにも見える。そういう謙虚なスタンスは好ましくも思う。

でも実際は一つ一つの経験には大きな意味がある。普遍的ではないかも知れないが、それでも話してみると、自分が思っている以上に多くの人の参考になったり、勇気づけられたりするものだ。むしろ、キャリアの進み方が普遍的な一本道に収束せず、多様な生き方があることに価値があり、業界に持続性がもたらされるのだ。

だから「生存者バイアスだから」とか「再現性がないから」とかそういう理由で経験を話さないままでいてほしくない。人間は、誰もがバイアスまみれで勘違いしながら生きている。それでも、そういう経験に価値がないわけではないのだ。

そういう課題意識もあって話したのがこのトークだ。私としては、自分がバイアスまみれであることを前提に置き、それをなるべくメタ認知しようと心がけることで、時にはその認知を上手く活用できるし、同時に自分の成功体験を他人に過度に押し付けるような老害化問題を緩和できる。そのように思っている。

人に「べき論」を押し付けず、自分の心躍った体験や思いを話せば誰かの参考になるかも知れないし、参考にしてもらえると嬉しい。それが、あまり人を傷つけない、伝わりやすい発信になるとも思っている。もちろん100%人を傷つけない発信など無いのだが。

人間はバイアスから完全に解脱することは難しいし、残念ながら私も無自覚な差別を色々していると思う。それでも自分の中の多くのバイアスから自由になり、差別を減らしたい。差別が少なく、より多くの人が幸せに生きられる世の中であって欲しいと思う。そっちのほうが自分も安心して生きられるからだ。


というキレイめなトークをしてきた。会の趣旨としては「自分はこういう経験をしたから生き残ったのじゃ、ガッハッハ」みたいなオフレコトークが期待されていた部分もあったようで、確かにキレイな話にしすぎたかもしれないと少し反省。そういう話も機会があればしてみたい。

ちなみに、大吉祥寺.pmの懇親会で「インターネット上で自分の過激な発言に起因して炎上した人がインターネットに文句言うのおかしくてインターネットが下手くそなだけじゃん。僕は大きな炎上したこと無いし」とか可燃性の高そうな発言をしてたんだけど、onkさんに「Songmuさんが炎上してないの運が良いだけですよ」って突っ込まれて、これは完全に生存者バイアスの話でしたね。

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2024-07-15T22:05:23+0900

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