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2007年12月31日

戦場からの帰還 ~ 21世紀初コミケ

オタクっぽい表現を使ってみる。かなーり久し振りにコミケに行ってきた。前日からF氏の家に泊まりこむという気合(?)の入れよう。単に、F氏が初めてだって言うし、サークルの同期と後輩が出展しているから、冷やかしに行こうと言うコンセプト。

F氏の家には高校同級飲みの後に遅くにお邪魔した。同居人と3人で炬燵に入って語らいながら、手土産で持っていった日本酒を空けたと言う非常にナイスな展開。こういう機会は貴重だよ。

コミケには空き始める昼過ぎに行った。相変わらずの人の多さだったが、別に人に酔うとかはなかった。久し振りだから馴染むのに苦労するかとも思ったがそうでもなかった。

実際、昔に比べると悲惨な外見の人間は減っている気がしたね。ある程度外見に気を遣うオタクの割合が増えてきたのだと思う。

世間の認知度が上がってきたから、一般人寄りの人が増えてきた。オタクが世間と折り合いをつけながら生きていくのが難しくなくなってきた部分てのがあるのではないでしょうか。

昔は悲惨で、コミケに行くようなオタクは完全に異端だから、外見に気を遣う気も起きなかったというか、異端の世界の中で完結してしまっていたんだよね。極端な言い方をすれば。

世間で2chが認知されていくと共に、評価が変化していったことに状況は似ているかも知れない。

友人Yこと富槻義裕先生のサークルは行ったら既に1200部(だっけ?)完売でした。聞いたら昼前に完売したそうで、部数を抑えたのが裏目に出たんじゃないでしょうか。機会損失だねって話をF氏とした。見本誌を見たが、ちゃんと漫画を書けているのがさすがだなぁと思った。イラストはそこそこだけど、マンガはガタガタって人多いからね。

後輩であるまきのサークルに行ったら、参加2回目にしてお誕生席だった。イラスト本だったが、いや、上手いわ。上手いだけじゃなく味があって、色使いが独特なところに個性を感じさせるところがニクイ。最初は義理で本を買ったが(おい)、純粋に買った良かったと思う。

てことで、陣中見舞いを済ませた後、適当に外周をまわって壁サークルを見学。なんか、男性向け創作の傾向として、昔よりも絵柄が更に幼くなって、目が大きくなっていた気がします。時代ごとに人気サークルの絵をサンプリングして、顔の面積に占める目の割合の経年データを取ったら面白いんじゃないかと思います。たぶん右肩上がりの曲線になっているんじゃないかと推測。

F氏が次の夏コミでの音楽CDの販売を目論んでいるので、創作音楽CDのエリアにも偵察に行った。創作音楽CDのエリアがあんなに広いとは思わなかった。昔とは大違いです。

しかし、帯にジャケット、レーベル面としっかり作りこんでいるもんだねぇ。細部にこだわるところがオタクらしい(笑) 逆にそのあたりをしっかりしなくては見向きもしてもらえないという厳しい世界のようだ。

私の勤務先で社内のCDデュプリケーターでシコシコ作っているモノなんかより見た目はよっぽど凝った出来でしたね。

F氏が参考にと適当にCDを1枚買っていた。夏コミの申し込み用紙も購入していたし、やる気満々のようです。がんばってくれ。曲は悪くないんだからあとはどう売るかだね。

3時の終了前に一足先に帰った。渋谷でラーメン食べて解散。ラーメン食ってるときにhtml, CSSの話題になったが、F氏の疑問に結構しっかりと答えられたので、俺って結構すごいのかもと思った。

22:15

2007年12月30日

マイペースな奴等

高校同級総勢7人で飲んだ。もう高校卒業して10年近く経つことに衝撃を受けてたり。よくよく考えてみると全員一浪組という奇妙な面子な符号も。ウチの高校は浪人が珍しくなかったわけですが、私の周りは特にマイペースなヤツが多かったと言えよう。類はなんとやらですな。私を含めそれぞれ紆余曲折あったようだが、結局全員社会人になっていた。名の知れた企業ばかりです。今回はちょっと理系寄り。

大手メーカーの内情とかを聞けて面白かった。某大手家電メーカーは社内じゃ自社製品を使ってないとかね。

あとは、競合メーカー同士の社員がいたのだが、片方の会社が最近出した新製品に絡んで、こんな会話がなされていた。

A:「俺あの製品の開発に関わってたんだ」
B:「アレね。出てすぐうちも2台買ってたわ」
A:「ああ、分解用か」

とサラリと恐ろしい事言っていて、しかもそれが図星だったから困る。別にお互いどってことなさそうだったし、どうやら当たり前のように行われているようだ。そうやってしのぎを削っているんだねぇ。

この飲みは、新橋で行われたのだが、そもそもの発端が、冬コミ後にこのあたりで飲むのが恒例となっていたわけです。

そんな発端だったのだが、今回はコミケ参加者は私一人。私も8年ぶりに友人と後輩の陣中見舞いに行くだけと言う。

オタクじゃなくなってしまったねぇ、結局面白いコンテンツが無いんだよね。というもう何度も言ったような話になってくる。

10年以上前に既にネタとして(一部本気で)萠えとか言ってた我々から言わせれば、今更萠えとか言ってんじゃねぇという話ですよ。最近のアニメ周辺業界もあんな子ども騙しの内容で萠えるとでも思ってんのか。オタクなめてんのかと。てな話をしました。こういった話を毎回するようになると、一種のオヤジだよね。

別に憤ってるわけでも無いんですけどね。もう興味ないからどうでもよいんだけど。

23:50

魍魎の匣で初一人映画

南町田の映画館で恋人がバイトをしているのを眺めつつ映画を見た。「魍魎の匣」 一人で見たが、一人映画は始めてでした。常々やってみたいとは思っていたのだが。ちなみに、「姑獲鳥の夏」は見ておりません。

やっぱ長い話を無理やりはしょって、一本の映画にしようとするから無理がありました。中途半端なホラー仕立てでがっかりです。

そりゃね、原作と映画は別物ですよ。原作に思い入れがあるとどうしても、バイアスがかかってしまう自分を諌めつつもやはり納得が出来ない部分がある訳で。

登場人物のキャラが原作と違うのは仕方ないとしても、物語の核である美馬坂が、単なる悪のマッドサイエンティストとしてしか描かれて無いところはいかんと思います。

美馬坂がなぜあの匣を作り出したのか、というところに、マッドサイエンティスト美馬坂の悲哀があるわけで、そこは描写して欲しかった。そこすら無いとホントちんけなホラーでしかなくなってしまいます。

あと、京極堂シリーズで大事なのは、最後の「お約束」の憑き物落としの部分だと思うんですよね。それは水戸黄門の印籠並みに外せない部分なのですが、あれをどうやって映画で再現するかってのは確かに難しいよねぇ。京極堂が延々としゃべってもねぇ。

配役は、田中麗奈が想像してた通りかなり良かった。中禅寺敦子はイメージどおりだし、演技も立ってたし。

椎名桔平の関口は意外に悪くなかった。堤真一の京極堂もイメージとは違うけど、悪くないと思う。

榎木津がねぇ。阿部寛が妙にマジに演じちゃってるのがいけません。あれじゃ本当に探偵みたいだよ。あの奇矯で「ワハハハハ」とか言っているキャラがあの作品には必要だと思うんですよ。マジなキャラは要りません。バランスを保つ上でね。

確かにあの荒唐無稽なキャラをどう演じるのかってのは難しいけどね。イメージは野村萬斎とか佐々木蔵之介とか。

ってーか、阿部寛て同じ演技しか出来ないよね。彼自身いい男で、キャラが立ってるからそうなっちゃうのかもしれないけど。

チームバチスタの栄光でもロジカルモンスター白鳥圭輔役をやるんでしょ。もう、アホかと。

21:45

2007年12月26日

神奈川再考~宮ヶ瀬のクリスマスツリーと飯山温泉

12月25日で恋人と4周年であり、宮ヶ瀬ダムのクリスマスツリーを見に行った。今年は平日だったので、道が空いてて良かった。おかげでバスの運行が狂わず大体予定通りにことが運んだ。23,24とかは近年はかなり渋滞になるらしいし。

本厚木からのバスだったが、本厚木から土山峠を越えて、宮ヶ瀬方面に出るのはいつものロードの練習コースなんで、バスからそのコースを眺めるのはちょっと変な感じ。

まあ、その練習コースに出てるクリスマスツリーの告知の看板を毎年見かけてたんで、行こうかなとは密かに狙っていたのだが。バスが少ないんだよね。

しかし正直バスはたるいね。スピードはロードとそう変わらないし。実際、本厚木~宮ヶ瀬間の運行が1時間ジャストだから、ロードで気合入れれば勝てるレベル。それに体感速度はロードより遅く、時間も長く感じる。まあ、ロードじゃあの道は夜怖くて走れないけど。

ただ、バスのアナウンステープが、

「このバスは停留所以外での降車も承っております。その場合は、50m手前くらいでチャイムか、運転手に直接お声かけしてお知らせください」

とか言っていたのには驚いた。おおらかで良いね。乗客には年配の人が多いだろうので、そういうサービスは大事。運行本数も少なく、スピードも遅いから出来るサービスなんだろうけど。

てことで、写真が宮ヶ瀬のツリー。4時40分着のバスで、5時点灯という絶妙のタイミング。

宮ヶ瀬ダムのツリーと言っても、何もないところにツリーがドスンと立っているわけじゃなくて、宮ヶ瀬湖畔の広場は店が立ち並んでいて、ちょっとした道の駅みたいになっているのである。クリスマスツリー点灯期間中は、たこ焼なんかの出店も出ています。なんで結構悪くない環境なのです。まあ、そこそこ混むからクリスマスの穴場とまではいかないかもしらんけど。

ツリー見終わった後は、近くに取ってあった宿に泊まった。厚木にも飯山温泉なんて温泉があって、温泉宿がいくつか立ちならんでいる場所があるのです。穴場と言うか、これも単にロードの練習中に見かけていただけなんですけどね。宿ではサンタの格好した狸がお迎えしてくれました(笑)

個室で、仲居さんが料理を出してくれて、しかもそれが一つ一つ趣があって美味しく、楽しい。イノシシ鍋も出たし。こういう遊びも面白いが、若いうちからやりすぎても何かなという気も。まあ、厚木の安めの宿でちょっと楽しむくらいで、年くってもそれくらいの路線で。

すげー寝た。朝は相変わらず寝起きが悪く、恋人を退屈させてしまった。

てことで近場の神奈川でこれだけ楽しめるのは貴重。宮ヶ瀬ダムは普通にドライブとかで行っても、山の中に突然ああいう休憩できる商店街が出てくるのは、ちょっとしたオアシス感覚で面白いと思います。

23:24

2007年12月22日

携帯小説とヤオイに共通点があることに気がついた

携帯小説ってつまり、「レイプ」とか「ドラッグ」とか「セックス」とか「純愛」とかいう言葉が出てくるだけで嬉しいんでしょ。「うんこ」とか「ちんこ」とか言う出てくるだけで嬉しい小学生状態。つまり中二病どころじゃなくもはや小二病。

とか断ずるのは簡単だが、アレが少なからず少女たちの熱狂的な支持を集めているのは間違いない事実である。それはなぜか。

それは、結局あれが「彼女らのリアル」だからなのですよ。

アレのどこがリアルなんだと言う突っ込みはさておいて、話を少し脱線させよう。既に一つのサブカルチャーとして定着した、少女たちが創る奇妙な創作物に「やおい」というものが挙げられる。

実はやおいと携帯小説って少女が創ったものという以上に共通点が多い。現代社会において思春期の少女ってのは往々にして生きづらさを抱えながら生きているものだが、その発露として顕れてきた創作体系だということが二つの一番大きな共通点。

思春期の少女たちが抱えている感情として以下のものが挙げられる。

  • 自分が生きていることを実感したい
  • 自分の生を何モノかに承認して欲しい
  • 大人になりたくない

そして、それぞれの作品の中で具体的に見られる傾向は以下。

  • 登場人物に痛みが与えられる
  • 能動側と受動側がはっきり分かれている
  • ファンタジー(全然リアリティーがない、生々しくない)

こう並べると分かりやすいと思うが、もちろん上下のリストは対応している。そして、それぞれが絡み合っている。

自傷行為を繰り返す少女が、その痛みによって生きていることを再確認するように(人にも因るが)、痛みを感じる事によって、登場人物は生きていることを実感する。

また、自分に痛みを与えてくれる他者、自分が何も与えなくても無条件でちやほやしてくれる他者(=純愛w)の存在は、登場人物の存在を承認し、生への実感を補強してくれる。

特に、相手が死んだりすると最高だよね。死者は裏切らない。他人が人生を賭してまで自分の生を承認してくれるんだから、この上ない快感だよ。

つまり、生きることに対する実感を感じられていない現代の少女たちにとって、そのような主人公を追体験することは、生きていることを実感できる数少ないチャンスなのです。それが多くの共感を生み出してもいる。

そこでやっと生きている実感を感じられるのだから、アレだけ荒唐無稽な内容であっても「私たちのリアル」になるわけです。

生きている実感を感じられていないことに対して、「今のコは感性が磨耗している」と断ずるのも簡単だが、まあ、そうなってしまっている社会的背景もあるわけですよ。

中島梓のコミュニケーション不全症候群には以下のような記述がある。

私たちはちょうど、ごく小さい穴の中からしか世界をみられないようにの閉じ込められたものがその穴を通してしか世界の形を理解できないのと同じようにそれぞれの選択した過剰さの形式を通じてだけ世界を理解するだろう。
スプラッタ・ムービーが象徴するこの一方通行の典型的な関係性こそがコミュニケーション不全症候群の本質である。おタクのアニメ、パソコン、ゲームに対する関係性、JUNE文化に共通するSとM、強姦者と被強姦者の関係性、それらが意味するものは、私たちがもはやはっきりとそのように意図し、そのために自分を訓練してゆかなくては、一方的でないような、かつては全く当たり前と考えられていたような相互的な人間関係を築くことができなくなってしまった、という事実である。

リストの最後の「大人になりたくない」と「ファンタジー」に関してはもう分かると思うが、携帯小説にしてもヤオイにしても、リアリティがなかろうがかまわないのである。むしろそっちのほうが、「リアル」だったりするわけだ。生を実感できない現実より虚構のほうが共感できる。

携帯小説においては空虚な過激さが上滑りしていてリアリティを失っているし、やおいでは、汚物が出現しない(と言うよりタブー視されている)性交が描かれている。

ちなみに、やおいには「大人になりたくない」というメッセージ性が強く見られる。少なくともやおいの黎明期においては、少年と言う存在に対して、「いくら犯されても処女性を失わない永遠の少女」という理想を重ね合わせていた図が多かった(らしい)

このあたりのことも、コミュニケーション不全症候群に書いてあったと思う。このエントリーを書くに当たって、ちょっとこの本を10年ぶりに引っ張り出して10分くらいぱらぱらめくってみたが、つくづく名文ぞろいでビックリした。さっきの引用もちょっと目に付いたものを引用しただけに過ぎない。しっかり読んだら、同レベルの文がごろごろ出てくると思う。

で、結局携帯小説が今何故ヒットしているかと言うと、やおいと同様に

  • 少女たちの生きづらさに対する(無意識の)メッセージがこめられているところ
  • 読者(そして作者)が登場人物に自分を重ね合わせ、共感を生み出しているところ

と言うところが大きいのでしょう。そして、思いつきを垂れ流しているだけで、自分が何故そういうことを書きたがるのかを考えず、深いところまで自己分析が出来てない時点で創作物としては二流以下なのは確かです。少なくとも現状は。これから文化として根付くとどうなるかはわからない。

04:03

2007年12月15日

「カンナさん大成功です」を見に行った

あまり期待していなかったが、意表を突かれた。かなり良かったよ。

新宿マルイのくじ引きでペアチケットがあたり、せっかくだからと恋人と見に行ったのが経緯。今年は二人で映画は何回か見に行ったものの、こういう機会でもないと、韓国映画を見に行くことはないだろうので。

不意打ちを食らった感じで、ちょっと目が潤んでしまった。感動レベルとしては、そこまで神レベルほどには高くなかったのだが、歳かねぇ…。

まあ、ベタな笑いと、整形した人間が感じる自己矛盾という深いテーマを共存させているのが絶妙でした。

「何でも思い通りに出来たら神様だよ。人間は出来ることをやるしかないんだ」

みたいな名言もあって、それが物語の鍵の一つになっているところも巧くできていたね。

ただ、整形カミングアウト後の物語収束のさせ方が、ちょっと都合が良いかなぁと思った。あと主人公が父親をずっとほっておくのはどうかと思いました。

主人公が思いを寄せている音楽プロデューサーのサンジュンがやり手で、周りの人間を引きつけながらぐいぐい引っ張っていくのが素晴らしいと思った。

が、恋人は、「彼は悪人にも善人にもなりきれてなくて中途半端だからダメ」とダメ出ししてました。また、恋人は「主人公は(歌と言う)天職を持っているくせに欲張りだ」と手厳しいことも言っておりました。

いや、しかし「韓国映画侮れない」と思ったよ。韓国作品には「冬のソナタ」みたいな阿呆臭いイメージしかなかったからね。

あと、映画が始まる前に流れた高須クリニックのCMが笑えた。院長(かな?)が砂漠にそびえ立ちながら「Yes! 高須クリニック」とかナルシスティックに言っているのが愉快でした。出だしが院長がアラブの要人みたいな人とシリアスに話している場面で、何かの映画の予告編かと思いきや、そんなCMだったので、客席でもそこかしこで吹き出している方がいらっしゃいました。

23:17

2007年12月13日

VBScriptの貧弱さ

片手間ながら仕事でプログラムも書いている。最近やってるのはもっぱらフォームのシステム化。私が今のポジションにつく前から、都度都度、質問項目が付け加えられたり、目的別に同じようなフォームが独立していくつもあったりと、かなり酷い状態なので、この際スクラッチから書き直す事にした。

共通部分は、共有するようにしたり、質問項目はデータベースから回してきたりと、まあ何で今までやってなかったのって感じの事なんですが。入力情報を上手くデータベースに貯めこんで後で分析できるようにもしたいと思っている。

あとは、今更ながらサニタイズ処理を見直してみたりとか、カレンダーからの日付入力や、郵便番号からの住所自動入力なんかも実装したいと思っている。

しかしVBScriptは貧弱で悲しくなるね。配列が使いづらいし、なにより、連想配列が使い物にならない。配列や連想配列の中にオブジェクトを格納出来ないんじゃ、複雑なデータ構造を表現できないから全然意味ないじゃん、と言う。そのあたりを型関係なく自由に使えないくせに、何がヴァリアント型なんだと問い詰めたい。

03:12

2007年12月12日

営業の会社なんだなぁ、と

ここのところ、神田で電話の調子が悪いと言えばTAを交換しに行き、渋谷でパソコンのディスプレイの写りが悪いとか言えば、安いグラフィックカード買ってきて、パソコンに挿しに行ったりと、今度はプリンタが動かないとか言われてまた渋谷に行ってみたら、単にモジュラーが抜けていただけだったりとそんな毎日。

特にプリンターなんか、リコーの保守の人がルーターボックスの中まで見た挙句、「ネットワークの設定がおかしいんじゃないでしょうか」とか言って逃げ帰ったらしいのだが、いや、単にモジュラーですから。まあ、インターフェース周りをよく確認もせずにリコーの保守を呼んでしまうウチのスタッフもちょっとね。

てことで、拠点が増えるごとに、こういう機材関係のトラブルで煩わされる割合が増えてきて、ちょっとづつ負担が大きくなってきている。各拠点老朽化も進んできているから、ちょっとやばい。

12月になったが、うちの職場は師走だからと言って別段忙しいわけじゃない。むしろ客足が遠のくので暇っちゃ暇だが、営業の人にとってみたら、厳しい月だ。

そういや先日、別部署の営業研修担当の人にウチのスタッフともども研修をしてもらったが、つくづく驚嘆したね。そこまで考えて営業やってるんだと素直に感心した。つくづくウチは営業の会社なんだなぁと、思い知らされたよ。別にコンピュータ技術を持っていても評価されるわけではないのです。

スタッフの中には、この研修でうげって感じの拒絶反応が出た人もいたみたいだったが、私はそんなに感じなかった。職場に毒されてきているのかもね。でも、あの研修担当の人なんて、全然マシですよ。中には怖いくらい笑顔が顔に張り付いているのに、目が笑ってないような人がいますからね。

まあ、ウチは結局営業力の会社なんですよ。私も先月は60万ほど売り上げましたが。

03:26